部屋の中には、これぞ軍人とでも言うべきたくましい男性が立っていた。一寸の狂いもなく着ている軍服には十数個の勲章が輝いている。
「これはまたずいぶん若い使者が来たものだ。」
将軍はフフフと笑った。
「カイと申します。」
「ふむ。まぁ掛けたまえ。」
カイはマントを脱ぎ、将軍の示した椅子に腰掛けた。将軍はそのちょっとした時間に、何かの書類にサインをした。
「オマリ、彼の持ってきた召集状をここへ。」
カイはオマリ老人に召集状を渡し、老人は将軍に献上した。
「〈軍部に参上し、将軍に謁見せよ。シャリト共和国将軍ゾルディブ代理文官・オマリ〉か。確かに我々が発行した正式文書だ。かなり状態は悪いがね。」
ゾルディブ将軍は皮肉っぽく言った。
「君は森から来たのだね?」
「はい。」
「それは本当かね?」
「…どういう意味ですか?」
「私は森に住む民族を何度か目にしたことがある。彼らは一様に褐色の肌と色素の薄い髪をしていた。君はそのどちらでもない。もし君や森がシャオル王国と繋がっているのならば、然るべき手段をとらざるを得ないんだがね。」
将軍は一段と厳しい目でカイを見た。カイは睨みつけるような将軍の目をまっすぐ見て答えた。
「私はどの国や民族にも属しません。」
「ではこの召集状を何と説明する?」
「森に迷い込んだところを彼らに助けられました。私が将軍への謁見を申し出たので、族長が私に託してくれたものです。」
将軍は召集状に目をやり、顎に手を添えて「なるほど」というような態度を示す。だがオマリ老人は将軍のその様子を見ると、質問を一つ付け加えた。
「森に入る前はどこにいなさった?」
「おお、そうだ。それを忘れていたな。まさかシャオル王国というのではないだろうね?」
将軍は冗談っぽく笑ってはいたが、するどく核心を突いた。実の所、カイはこの質問にどう対処するか、まだ決めかねていた。記憶がないと本当の事を言って信じてもらえるだろうか。いや、それでも素性を偽って疑われるよりかはましか。村を巻き込まないこと、それが先決だ。信じてもらえずに自分が殺される方がまだいい。
「…わかりません。ふざけているのではなく、本当に記憶がないのです。ただ私は将軍に申し出たいことがある。それだけです。」
「ほう…」
将軍は納得したように、それでもオマリ老人を横目で見た。オマリ老人は静かに頷く。
「では話してみたまえ。内容如何でどうなるかは、どうせ覚悟の上だろう。」
机に前かがみになるように座っていた将軍は、大きな椅子に深く腰掛けた。カイは小さく息を吐き、途中で話を切られてもいいようにと結論から話し始めた。
「単刀直入に申しますと、この戦争を終わらせていただきたいのです。」
将軍の眉がピクッと動く。オマリ老人はつぶれたような目を一度に両目とも開いた。
「この戦争はもはや報復の繰り返しであると聞きました。ならばどちらかが折れて和解することは可能でしょう。」
「それで我々に折れろと、そう言うのかね?」
「はい。あなたの方が融和的だそうですね。」
「国民や諸民族が私とシェオル国王をどう見ているかは知らんが、私は戦争を終わらせる気はない。」
「何故ですか?!」
カイにとっては意外な将軍の言葉だった。将軍は椅子から立ち上がり、部屋の壁の半分以上を占めている窓へ近づいて外を見下ろした。
「国民が長い間どのような生活をしていたか、君は知っているか?暖炉の火で全てをまかない、畑仕事で生計をたて、どこへ行くにも馬車か徒歩でしかなかった。数世紀をかけてそこまでしか発展しなかった生活が、戦争を始めて二十数年で急速に進歩したのだよ。今や国中に電気が通り、軍事工場での雇用が失業者を無くし、しかも安定した収入を与え、自動車を始めとする様々な道具を生み出した。戦争を終わらせない理由がもうわかっただろう。より便利に、より豊かに生活していくには戦争が必要不可欠なのだ。いいか。これは生きるための戦争だ。」
「生きるための戦争なら何故人が死ぬ?!」
カイは興奮のあまり椅子から立ち上がった。強く握りしめられた拳は、爪が食い込み血が出るほどだった。
「戦争に犠牲はつきものだ!国民とて生活のための犠牲なら喜んで差し出そう!!」
将軍も声を荒げた。口の中でカイの歯はきしんだ。
「あなたは国民の顔を見たことがあるのか?あんなに悲しそうな顔をして、戦争を望んでいると本当に思っているのか?!」
「国民を理解させるのも我々政府の仕事だ!君が何を言おうが、戦争の継続は決定事項だ!これ以上我々のやり方に口を出すというのなら…」
将軍がそこまで言いかけたとき、外で轟音が響いた。将軍は窓にへばりつくようにして外の様子を探り、オマリ老人はこれ以上ないほど大きく目を見開いてせかせかと窓へと近づいた。カイは嫌な予感がしていた。窓から見える煙…。あれは森の方向では。
「将軍!ゾルティブ将軍!」
伝令が急き込んで部屋へ走り込んでくる。
「何事だ?!」
「王国軍が…見慣れぬ兵器で…森へ…」
息も切れ切れに伝えられたその内容に、カイは全身が凍りつく思いがした。頭が一瞬ぐらりとし、手足の先がびりびりと痺れる。それでもいち早く踵を返してマントを羽織ると、将軍の制止も聞かず部屋を飛び出した。オマリ老人と周りを見渡すようにゆっくりと歩いてきた廊下を、カイは全速力で走り抜けた。
無我夢中で走り、気が付くとカイは門の前まで来ていた。太い鉄格子の門は閉められており、守衛は森の方をよく見ようと背伸びをしながら辺りをふらふらしていた。
「ここを開けてくれ!」
走ってきた勢いで門にぶつかりかけたカイは叫んだ。守衛は驚いたように振り返る。
「だ、駄目だ。緊急の場合は決して門を開けてはならないと命じられている。」
守衛は挙動不審ではあったが、ぶっきらぼうに言い放った。
「早く行かなくてはならないんだ!」
カイの声は悲痛だった。それでも守衛は首を縦には振らない。カイは何歩か後ずさりし、辺りを見渡した。目の前の門以外に出られそうな場所はない。カイは覚悟を決めた。あの門を飛び越えよう。
「な、何をする?!」
門に向かって走りこんでくるカイに対して、今度は守衛が後ずさりした。そして、追い込まれた人間の持つ能力がそうさせるのか、それともカイに秘められた力なのか、カイは三mを優に超える門を軽々と飛び越えると、そのまま体勢を崩すことなく、カイは森に向かって全力で走っていった。守衛はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。