ラナの村は、森の中で唯一空が見える一ヶ所だけひらけた場所にあった。家々は木の骨組みに布をかけたテントと家の中間のような質素な建物だった。あまり大きな村ではなく、20戸前後の家がまばらに建っている。ラナはその中の一つの家の前で止まった。
「ここがあたしの家。そうだ!カイのマント洗って干しといてあげるよ。貸して。」
「あ、ああ。ありがとう。」
薄汚れたマントの下には、タイトなTシャツとゲートルを巻いた幅の広いズボン、しっかりとしたブーツを身につけていた。その全てがカイの髪の色のように漆黒だった。そしてもう一つ、右腕にはあざとも刺青ともつかない、赤い何らかの模様があった。
「カイ?何ボーッとしてるの?父さんが話をしたいって。」
「話?」
右腕を見つめていたカイは、ラナの言葉に顔を上げ、彼女の指差す家へと入った。家の中には、ラナと同じように日に焼けた肌に色素の薄い髪を生やしたガタイのいい男が座っていた。
「君がカイだね?」
「はい。」
「俺はラナの父親でこの村の長でもあるザクという。行く当てがないならこの村にいても構わんが、森の外には出ないほうがいい。幾日か前にすぐそこで戦闘が始まったからね。奴ら、また新たな兵器を開発したらしい。状況はよく知らんが、ひどいものだよ。」
「ずいぶん長い戦争だそうですね。」
「もう二十年になる戦争だ。もはや目的も正義もなくした無意味な戦いだと俺は思うがね。」
「その戦争の事、詳しく教えてくれませんか?」
下向き加減に、思いつめたような表情で話していたザクは、カイの言葉で顔を上げた。最初に話しかけてきた時のラナと同じ目でカイを見ている。
「遠いところから来たらしいとラナに聞いたが、君は一体どこから来た?余所者でもここに住んでいる人間ならば大体のことは知っているはずだが?」
カイはザクから目をそらした。決して後ろめたいことがあるわけではない。だが、何と答えればいいのかわからない。本当の事を言って信じてもらえるだろうか。自分の素性を偽る事はできるが、それではかえって逆効果になりはしないだろうか。意を決してカイはもう一度ザクを見た。
「何も知らないのです。私はどこからどうやってきたのか、何の目的で来たのか、何も思い出せないのです。」
「記憶喪失かね?」
「わかりません。失う以前に私に記憶があったのかどうかも。ただ…」
「ただ?」
カイは目覚めてから、心に起きた感情を一つ一つ思い出してみた。頭痛、めまい、不安、安堵、嫌悪、吐き気、漠然とした使命感…。
「ただ私がこの戦争を終わらせなければならないと、そんな気がするのです。」
言葉が自然とこぼれてきた。目覚める前の記憶を呼び覚ますような言葉だった。
ザクは何か深く考えていた。戦争のことを教えてもらうどころか、村を追い出されても文句は言えないとカイは覚悟した。しかし、
「わかった。君に一通り教えよう。だが、詳しくは教える事はできない。俺もそれほど森の外と通じているわけではないからな。それでもいいか?」
「ええ。お願いします。」
ザクは大きく息を吐いた。一度頭の中を整理して、言葉を選んでいるようだった。
「ここに住む人間は大きく二つに分かれるんだ。俺たちみたいな辺境に住む田舎者と、ちゃんとした国に住む国民だ。シャリト共和国とシェオル王国っていう大きな国が二つあって、それぞれが軍隊を持ってる。この二つは昔っから仲が悪くてな、何かって言うとすぐいざこざが起きてたんだ。今戦争をしているのは、もちろんこの二つの国家だ。きっかけは確か…どっちかの要人をどっちかが暗殺したとかだったな。それからは仕返しの繰り返しだよ。いい加減やめりゃあいいのにな。」
ザクは最後に本音を漏らした。
「報復だけで続いている戦争なら、何故終わらないんです?」
「さあな。都会のお偉いさんが何を考えてるかなんて俺にはわからねぇよ。」
ザクは立ち上がって家の外へと出て行った。騒がしくなってきた家の前を静めに行ったようだ。カイはその場に座り込んだまま思い出だそうとしていた、記憶の奥に眠るあの約束を。
―もしも全ての世界が平和になったら…
一体どうなるのだろうか。カイはその先をやはり思い出せない。それでもそれが約束で、与えられたものなら、彼はやるしかないと思った。目の前の課題を少しずつでも消化していけば、真実が見えてくるかもしれない。