「私も…詳しくはわからない。何故私がこのことを知っているのか、何故誰にも知らされていないのか。わかっているのは、世界中で何らかの紛争や争いが起きているということ、そして私がその全ての世界を訪れてそれらを止めなければならないということだけだ。何故そうしなければならないのかはわからない。でも約束したんだよ、誰かと。もしも全ての世界が平和になったら…」
「平和になったら?」
カイは首を横に振った。
「…ここまでしか思い出せないんだ。だが、世界を訪れていって使命を果たしていけばきっと何かわかると思う。だから…行くよ。」
「行くってどうやって…?」
ラナが言い終わると同時に、カイは光を帯びていた右腕をマントの下から出した。光が一気に広がって、カイの体全体を包み込む。
「本当は誰にも見つからない内に行ってしまいたかったんだ。せっかく皆と和解できそうだったのに…。残念だ。」
カイは右腕を見つめたまま、悲しそうな顔をした。
「でもまた会えるわ!ね?…それとも…もう会えないの?」
カイの顔から悲しみの色が消えないのを見て、ラナは言葉を付け足した。カイはラナの目を愁いを帯びた瞳で見た。
「…おそらく。」
カイは手や足の末端部分からどんどんと透け始めた。まだ見えなくなるほどに消えたわけではなかったが、カイの足の下にあるはずの石が鮮明に見えてきていた。ラナはカイの左肩にすがりついた。
「それならみんなに会いに行かなくちゃ!叔父さんもトマもトナも、それから共和国の将軍にあのお爺さんも!みんなカイに会いたがってるのよ!あと王国の王様も。王様も戦争を止めるって言ってくれたわ。カイに話を聞きたいって!ね?お願い。」
カイは静かに首を横に振った。ラナの手からは、つかんでいるはずのカイの肩の感触がどんどん薄れていった。
「もう…ここにはいられないんだ。」
カイは僅かに輪郭しか捉えられなくなった右腕を見つめて言った。ラナは喉が押しつぶされそうだった。そしてもはや掴めなくなった肩から手を離し、まだはっきり見えているカイの首の辺りに抱きついた。
「お願い!行かないで!カイがいなかったらあたし、戦争を止めたりなんてできなかったし、それに…」
ラナは言葉に詰まった。泣いているようだ。だが、カイにはどうすることもできない。薄れていく身体に伴って、意識もどんどん遠のいていく。まるでとてつもない睡魔に襲われるかのように。
「ラナ…」
カイは意識のある内にラナに別れを告げようと思った。しかし、それを遮るようにラナはかすれるような声で呟いた。
「あたし、カイに傍にいてほしい…」
半分以上閉じかけていた目を、カイはこじ開けるようにして少しだけ開いた。カイもできるなら傍にいてあげたかった。この世界で役に立つことがあるなら、どんなことでもやってあげたかった。しかしそうもいかない。薄れていく意識は、カイに涙を流すことさえさせてはくれなかった。カイは重い両腕を持ち上げて抱きついているラナの体に回そうとしたが、両腕はラナの身体をすり抜けた。
ラナは急に軽くなった感覚に驚いて、カイの身体を改めて見た。赤い光に包まれているカイの身体は、やっと見えるぐらいにまで薄れている。カイは何かを呟いているように口を動かしていたが、ラナは聞き取ることができなかった。ラナは涙で周りがよく見えない目を凝らして、カイの口の動きを捉えた。
(ありがとう)
ラナの目に涙があふれた。
「カイ、あたしもよ。あたしも…」
ラナがそこまで言いかけたとき、カイの身体は完全に見えなくなった。赤い光だけがその余韻を残していた。ラナはカイに抱きついたままの体勢で、赤い光をただ見つめていた。
今の今まで一人の青年がいた、そして今や空虚となった腕の中に、どこからか一枚の青い葉が舞い落ちてきた。