「バン・ダルク様、どうもその節は…」

暖かい陽射しを背中に受けながら、ダルクはずいぶん久しぶりにプラム城を訪れた。それまでずっと城下の村にいながら、どうしてもアンナのいなくなったプラム城に来ることは出来なかったのだ。未だ負い目を感じたまま…アンナがそれを望まないと知りながら。

「バン・ダルク様には心から感謝しております。貴方に会ってからのあの子は、まるで最後の生き甲斐を見つけたようで…。病気で苦しむ姿も知っていましたから、あんなに穏やかな顔で召されるとは思っていませんでした。」

母・アシュリーはあれからかなり痩せ細ってしまったが、どこかその表情は穏やかだった。おそらくアンナが口にしていた“逃げ”から解放されたからなのだろう。冬が終わってまた春が巡って来たように、アシュリーにも平穏が訪れたのだ。むろんそれには大きな代償を払わなければならなかったのだが。

「…いえ、むしろ感謝しているのは私の方です。アンナには多くのことを教えて頂きました。」

その心の美しさは本当に天使のようで、病床にありながら鈴の音のような可愛らしい笑い声を立てていた。他の誰よりも周りの事に気を遣っていた。自らが死ぬことで救えるものもあるのだということも、ちゃんと分かっていたのだろう。だが目の前の母親は、私が彼女の代わりに生きているという真実を知ったとしても、同じ微笑みを私に向けていただろうか。アシュリーは私が落ちぶれた医者かなにかで、人を安楽死させる何者かだと思い込んでいる。そして未だその先の真実を知らない。彼女がただ何も残さずに逝ったわけではないのに、“命がどこかで息づいているのなら、死んだことにはならない”…アンナが口にしたそんな慰めすら言えない臆病な私。

 

 

「もう…この村をお発ちになるのですか?」

「…はい、けれどその前にお願いがありまして…」

「お願い…ですか?」

“まあ、なんなりと”とアシュリーは小首を傾げて促した。

「…城内の果樹園に…、アンナが春になったらプラムの花を見てほしいと。」

「あぁ…そうでしたか、あの子らしいわ。勿論ご覧になってくださいな。プラムの花はちょうど今が盛りで…」

 

 

とても美しいですよ。

 

 

 

 その言葉通り、再び足を踏み入れた果樹園にはプラムの白く可愛らしい花が咲きこぼれていた。陽射しを受けて輝く花も、風に揺らめく細い枝も、まるで微笑んでこちらを見ているようだった。

 

 

先生はプラムがお好き?

 

 

初めてこの場所に足を踏み入れた時の、彼女の言葉が蘇ってくる。きっと君ももう一度プラムの花を見たかったろうに。花よりもはかなかった可憐な少女。命は未だ私の中にあるとして、魂は神のもとに召されたろうか。

 

 

ね、先生。

 

 

不意にアンナに呼ばれた気がして、ダルクは伏した瞳を持ち上げた。柔らかな風が頬を撫で、満開の木から1枚だけ、花びらが舞い落ちてきた。ふわっと音もなく風に乗って、導かれるように花びらはダルクの肩に留まる。

「…アンナ、何もかも君の言う通りだった…」

ダルクは空を見上げてそう呟くと、黒いマントを翻し、少しだけ温かく感じられたその手に花びらをとって、そのままプラム城を後にした。

 

花だけがその背中を見送っていた。

 

 

【完】

 

 

 

     

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