その年の七月、炎天下。私は行き詰まっていた。「はぁ」という大きなため息と共に、木陰の石積に腰掛けた。歩みを止めると、途端に汗が全身から吹き出してくる。私は常に二、三枚は持ち歩いている大きめのタオルハンカチを取り出して、目元のメイクを気にしつつ汗を拭いた。
私は駆け出しの雑誌編集者だった。首からは一眼レフを下げ、肩に掛けたサイドバッグは予備のカメラと筆記用具、それから地図と、ずっしりと重みがのしかかる。
(なかなか見つからないなぁ・・・)
私はメガネを掛けなおして、耳の少し下くらいまでミディアムボブの髪をかきあげた。
私は探していた。ここ数日、自分が企画した雑誌の特集のために、都内をあちこち歩き回っていた。
私の探しているもの・・・それは美形!美形メンズ!
カリスマ、イケメン・・・と来て、今年のトレンドは美形!絶対にこれがくる!そう読んで編集長を説得した。世に言うイケメンとは一線を画し、異性も同性も思わず息をのむような美しさで、それでいて凛々しく、聡明で柔和。中性的・・・と言えばイメージが近いだろうか。いや、それでも草食系やオネエ系というものではない。男らしいのに美しい、雄々しいのにたおやか。理想に描くのはそんな人。
(・・・だけど)
それがいない・・・!見つからない・・・!
大学や高校もかなり回ったし、ビジネス街にも繰り出した。それでも目に留まるのはいわゆるイケメンの類で、そうでなければ素敵なダンディズムのオジサマ方。
理想が高すぎる、というのは自負してる。でも、譲れない。そんな人を一人でも見つけるまでは、どうしても諦めきれない。諦めてしまったら、どこかにいるはずの美形メンズに会えずじまいになりそうで。
不意にそんな私の目の前を、男の子が走っていく。
(お、サワヤカ君)
最近輪をかけて強くなった私のイケメンセンサーが、落ち込んでいても素早く反応する。いやいや、今欲しいのは美形センサー。サワヤカ君はサワヤカ君で目の保養ではあるけれど。
「昴くーん」
(・・・昴?)
走っていったサワヤカ君の姿がいつの間にか消えて、その代わりに上の方から声がした。
(上?)
石積を立ち上がって見直して、改めてそこが神社だったのだと気づく。コンクリートだらけの都会の真ん中、ここだけが土の匂いと濃い木陰。ひんやりと、クーラーにも負けない冷気が、小高い境内の方から流れてくる。
(気づかなかった、神社だったんだ)
私は境内へと続く石段に真っ正面に向かって、石造りの鳥居を見上げた。
(ソウキ神社?フタヒメ・・・かな?}
双子の双に、お姫様の姫。なんだか可愛らしい名前。
私は少し微笑ましく思いながら、そっと石段に足をかけた。別段、特に神社に興味があるわけではない。初詣ですら、毎年欠かしているくらいだ。それでも、今にも崩れそうな苔むした石段を上がっていった。困ったときの何とやら、先ほどここを上がっていったらしい神社好きのサワヤカ君にあやかってみようかと、そんな軽い気持ちだったのだ。神様、どうかどうか、理想の美形さんに会わせてくださいな、なんて。
「・・・あれ?」
若干息を切らせながら石段を上がりきると、不意にサワヤカ君とは別の男性の声がした。男性の声?それにしてはあまりに綺麗すぎる。まるで宝塚の男役にも思えるような・・・
「珍しいですね、参拝の方ですか?」
そう尋ねてきた本人を見て、私はあまりの衝撃に腰を抜かしそうになった。いや、正直抜かしたのだと思った。頭のてっぺんから雷が落ちてきて、足から地球の裏まで突き抜けたようだといっても過言ではない。予期せずして目の前に、理想の美形が立っているのだ!どうしてこの胸の高まりを抑えられよう?!
「・・・どうしました?」
うう、くそぅ・・・声まで美形!!
あまりの興奮に手足まで震えてくる。私は何とかギリギリのところで自分を律すると、意を決して美形さんに話しかけた。
「あ、あ、あのっ・・・!と、突然なんですけど、あなたに頼みたいことが・・・」
「あ」
私の言葉を遮って、美形さんとサワヤカ君が同時に何かに気がついた。彼らの目線は私を通り越して、その向こうを見ている。
「ちょっとすみません」
美形さんは私とサワヤカ君に断りを入れると、私の横をすり抜けて小走りに木の下へ走っていった。いったい何に気がついたのかとても気になったけれど、美形さんの一言でその場を任されたらしいサワヤカ君が、「かっこいいカメラですね」だとか「神社が好きなんですか」だとか話しかけてくるので、私は美形さんの方を見ることが出来ないまま、「そうね」と曖昧な返事をサワヤカ君にせざるを得なかった。ただ美形さんが「こら、駄目だよ」と子供を諭すような声だけは聞こえていた。子供なんて境内にいたっけ?
「お待たせしました。何かお話の途中でしたね」
「あ、じ、実は私・・・」
にこやかに帰ってきた美形さんに、私はワタワタしながらサイドバッグから雑誌を取り出した。
「私この雑誌の編集をやってるんです。で、今度「町で見つけた美形」って特集を組みたくて・・・是非君の写真を掲載させて欲しいんです!!」
「雑誌?」
「わぁ、すごい!」
いまいちピンときていないらしい美形さんの代わりに、サワヤカ君の方が反応する。
「それって、昴くんに読者モデルになってくれってことっすよね?!わぁ、さすがだなぁ!」
サワヤカ君には嫉妬というものがないのだろうか。実に屈託無く、自分のことのように嬉しそうだ。けれど、そんな興奮気味のサワヤカ君の一方で、美形さんはとても反応薄く、「そうですか」と少し困惑した様子だった。
「あ、もしかして、もう他の雑誌でそういったことをしてる・・・とか?」
仮にそうだとしても納得がいく。美形という名目で探していなくたって、彼のことは絶対に目に留まる。ちまたのスカウトマンが放っておくとは思えない。
「いえ、そういう訳じゃないんですけど・・・困りましたね」
美形さんは私の言葉を否定して、それから何故かお社の方を見やった。
「困っているなら力になって差し上げたいですけど、貴女のことを不幸にするわけにはいきませんし」
「え?私が・・・不幸?」
何故彼がそんな言い方をしたのか、私にはさっぱり分からなかったが、サワヤカ君の方ではそれだけで大体のことは分かったようで、同じようにお社の方を見ては、「ああ・・・」と美形さんに同意した。お社に何があるというのだろう?私も訝しげにお社を見てはみたけれど、古くて風情があること以外には、まったく何も感じ取れなかった。
「すみません、お役に立てなくて」
美形さんの決定的な一言。ああ、そんな悲しそうな微笑みを向けないで。諦めたくなくなっちゃう。せめて話をさせてくれる余地でもあれば・・・。いや、そんな迷いすらない潔さもまた魅力。きっと今までもそうしてきたんだろうな・・・そうでなかったら、トップスター間違いなしだもの。
「・・・分かりました。残念ですけど、ご縁がなかったってことですね・・・」
私は涙をのんで語尾も弱々しく呟いた。けれど、美形さんはそんな私に尚も優しく言葉を続けてくれる。
「僕とは。でも、この神社にきたというご縁はあったようですけれど」
「神社との・・・ご縁か・・・」
そういえばこうして神社に来るなんて本当に珍しい。いつもは素通りするか、目にも留めていないのに、あの時吸い寄せられるように石段を上がった。そして残念な結果ではあったけど、理想の美形さんにもお目にかかれた。神様がチャンスをくれたのかしら。
「きちんとお参りしていくわ」
私は小銭入れから五円玉を出してお社に駆け寄り、鈴を鳴らして手を合わせた。
チャンスをくれてありがとうございます。
私、諦めずに頑張ります。
お参りが済むと、参道の途中の二人の元まで戻った。それからもう一度距離を置いてお社を振り返った。有名な神社のように、大きくもないし綺麗でもない。それなのに今まで行ったどの神社より、とても神々しく見えた。ふと、一眼レフに手をかける。
「お社の写真も一枚、撮っていこうかな」
「それもいいですね」
美形さんは私に同意して、お社全体が写るよう境内の隅に寄ってくれた。私はカメラを構えてじりじりと後ずさりしてピントを合わせる。
そのときの私に、あわよくば・・・というあざとい考えがあったわけではない。でも、写真の隅に美形さんが入るようにピントを合わせた。この数十分の間に偶然や衝撃が多すぎて夢のように思えていたから、現実であった証を何か残したかったのだ。それが後々、私の心の支えになるような気がして。
カシャ・・・
私はそのシャッターを、とても丁寧に押した。一度だけ押した。何度も撮るのは、この神社の価値を下げてしまうようでそれ以上押せなかったのだ。私はこのとき押したシャッターの感覚を決して忘れはしない。
「よく撮れました?」
「うん・・・ありがとう」
ごく自然と言葉が出た。彼がこの神社の持ち主というわけではないだろうに、それでも彼に対してお礼を言いたい気持ちでいっぱいだった。そして私は神社を後にした。
結局、その後彼に匹敵するような美形なメンズは見つからず、私の目論見は外れ、企画倒れとなってしまった。けれどその代わりに、全国のパワースポットを他誌とは違った観点で紹介した企画が大当たりして、私は一世を風靡することができたのだった。
あの日、あの境内で、確かにシャッターを押したはずの写真は、その後どんなに探してもどこにも残っていなかった。設定を間違えて最初から撮れていなかったのだろうか、それとも誤って消してしまったのか・・・いや、それはない。一度しかシャッターを押さなかったので、バックアップもない。もう一度撮りに行こうという気持ちもなかった。尤も、その後周辺を探してもどうしてもあの神社に行き着くことができなかったので、撮りにいけなかったというのが正しいのかもしれない。けれど、不思議と惜しい気持ちはなかった。
そう、今なら分かる。あれはきっと最初から、写真のデータに収まるようなものではなかったのだ。だから、残っていなくて当たり前。それに、そんなものが無くたって、私にはあの時のことが夢や幻でなかったのだと胸を張って言える。
だって、ほら。
私の心にはこんなにも強く、あの時のことが残っているのだもの。