隠していたわけじゃないさ。
ただ…言えなかったんだ。
真実を知ったらあいつがどう思うのか、どんな顔をするのか…よく分かっていた。
俺はあいつのそんな姿を見たくなくて、いつまでも先延ばしにしていただけだった。
延ばせば延ばすほど、あいつを傷つけることを知りながら…
「ハイゼ?」
あたしはやけに静かなついたての向こうに顔を覗かせた。東京とは違って、夜になれば月と星の光以外はテントの中の小さなランプの明かりだけで、耳に聞こえるものもただ砂を運ぶ風の音だけだった。静かな夜、静かなテント…静寂が心地良い。
「どうした?」
机に向かうハイゼがこちらを見遣る。飴色の髪の毛がランプの淡い光に当たって輝きを増す。
「あ、ううん…何でもないの。ただ寝るよって言おうとしただけ。」
「そっか…おやすみ。」
そう言ってハイゼは柔和な笑みを浮かべる。まるでランプの光に溶けてしまいそうなほど優しい表情。あたしの胸は大きくドキッと鳴った。けれどそれは恋心の高鳴りじゃない。悲しい…切ない、色々な思いが入り乱れた胸騒ぎ。
あたしはハイゼに合わせていた目線を一度下げて、いくばくか躊躇いながら彼に歩み寄った。ハイゼはそんなあたしを不思議そうな目で見る。
「その本、また読んでいたのね。」
ハイゼの手元、西の大陸の商人に貰った本を目に止めて切り出した。それはあの胸騒ぎを探るために切った口火。それを別にしても、確かにハイゼは最近よくこの本を読んでいた。
「そんなに面白い本なの?」
「ん…いや…」
ハイゼはパタンと本を閉じる。
「一種の謎解きみたいなものさ。」
「ふぅん…」
その短い一言の間で、あたしの目線はハイゼを追って左から右へと向いていた。ハイゼは閉じた本を机の向かい側にある小さな木箱にそっとしまい込んだ。
「…あたしにもこの世界の文字が読めたらな。そしたら一緒に謎解きできたのに。」
あたしのその言葉に、ハイゼの手が一瞬止まる。
「はは…こういうのは一人でするもんだろ。」
意地っ張りな少年のような声色。けれど…ハイゼは少しも顔をあげたりはしなかった。ただ止まった手を俄かに動かし、静かに木箱の蓋を閉める。“一人”…その何気ない一言が、胸に深く突き刺さった。
「そっか…そうだね。」
あたしはそんな胸の痛みを堪えて、何とか笑みを繕った。なんて泣き出しそうな、弱々しい笑顔。こんな顔を見せたいわけじゃないのに。
それから少しの間、沈黙がテントを満たした。それは夜の雲が月を通り抜けた僅かな時間…それがまるで何時間と話をしていなかったかのよう。光姫もハイゼも、次の言葉を探して目線が泳ぐ。
「ミツキ。」
ややあってハイゼが切り出し、その目をある種の決意と共に光姫に合わせた。
「何?」
震えないで…震えちゃダメ、あたしの声。
「お前のことは、俺が絶対に帰してやるからな。」
「…え?」
立ち上がって真っすぐにあたしを見つめるオレンジの瞳。かつてと同じ言葉…のはず、それなのに何故こんなに胸を締め付けられるの?
「ハイゼ…どうし…」
「だからお前は迷わずに帰るんだ。」
ハイゼは構わず言葉を続ける。
「例えば俺に…何があって…」
バチンッ!!
“…も”と言い終わろうとしたハイゼを遮るように、テントに響いた高い音。ハイゼは一瞬何の音なのか分からなかった。それからややあって感じ始めた頬の痛み。ジンジンとした痛みに被さるか弱い両手、光姫がハイゼの両頬を挟み込むように叩いたのだった。