ルベンズに“帰ってきた”という行為が何かを呼び覚ましたのか、何だか寂しく物悲しげな夢を見た…気がする。よく覚えていない。でも夜中にめったに目を覚まさないあたしがこうして起きたということは、夢を見ていた証なんだ。だってトイレに行きたいわけでもないし。
あたしは大きく溜め息をついた。夢の内容を全く覚えていないくせに何かが朧気な思考回路を支配して、重い瞼とは裏腹に再び眠りに付くことが出来ないでいる。大仰な寝返りを打っても尚も睡魔が思考に邪魔されている。あたしはいっその事思い切って目を全開した。一度意識を戻して寝る体勢を整えた方がいいみたい。どうせだからテントの出入り口から外の空気を吸ってこよう。光姫はついたての向こうで静かに眠っているハイゼを起こさないように、そっとベッドを降りた。テントの中は月明かりで仄かに明るい。どこかにぶつかることなく、無事にテントから一歩外に出ることが出来た。
連なっているルベンズのテントは見張りの赤い炎以外は暗い影となっていた。あちこちから寝息やいびきが聞こえてくる。あたしは息を全部吐ききって、外の冷たい空気を思い切り吸い込んだ。肺の中が気持ちよく温度を下げる。外はとても静か。風の抜ける音だけが聞こえてくる。光姫は暫く外を見つめていたが、やがて肌寒くなってテントの中へと戻った。ふとベッドで眠るハイゼの姿が目に入る。ハイゼの眠る姿はなんて静かなんだろう。外の風の音ほどの寝息すら聞こえてこない。寝相がいいというよりは気配を消しているような、そんな感じの静寂がある。思えばあたしはまだハイゼのことをよく知らない。サイフェルトに過去のことは教えてもらったけど、直接ハイゼには聞けなかった。どうしてキャラバンの御頭になったの?ちゃんと聞いてみたい…けれど…。
光姫はそこまで考えて目線を逸らした。近い内に聞きたいと思いながら、まさか寝ている相手に聞くわけにはいかないしね、当たり前だけど。そっとついたての反対側へ入る。しかし途端に光姫は後退りしてガタンとついたてをずらしてしまった。何かが動いた…自分のベッドの中で。掛け布団の下でモゾモゾと移動している。一体いつから潜り込んでいたんだろう?さっき目が覚めたときには何もいなかったと思うけど。ベッドの中のそれの大きさは大体大人の猫くらい。場所が決まったのか動かなくなって眠り始めた…ように思える。光姫は恐る恐る近づいて掛け布団の端を持ち上げようとした。しかし端を掴んだだけで止めた。何か爬虫類みたいな毒のある動物だったらどうしよう…。
「ハイゼ…ハイゼ…」
あたしはついたてを再び出て、ハイゼのベッドサイドで小声で呼びかけた。だけど中々起きてくれない。あたしは躊躇いながらハイゼの眠る肩に手を置こうとした。
「ハイ…きゃっ!」
置こうとした手はいきなり引っ張られた。あたしはハイゼのベッドに引き込まれてしまった。ベッドサイドから片手を引かれたから、引き込まれたのは上半身だけだったけど。
「何だよ…」
眠そうな吐息混じりの声が耳元で囁く。
「わ…ちょっ…!」
あたしは慌てて離れようとするけれど、力が入らない。ハイゼは寝ぼけているのかふざけているのか尚もあたしを引き込む。
「ハイゼ…ちょっやめて…!話を聞いてってば!」
あたしはとっさにハイゼの髪飾りを引っ張った。これは最近見つけたハイゼの弱点。エクステンションのように髪の毛に直接付けられているので特に痛いみたい。
「痛ぇな…何なんだよ…」
あたしはやっとのことで解放された。でもまだ鼓動が早い。真っ赤な顔でベッドに寄りかかる。ハイゼは眠たそうに起き上がった。そんな彼の少しくしゃくしゃした髪の毛が、薄着の背中が心臓に余計悪い。
「何かあったのか?」
「あ…その、あたしのベッドに何かいるみたいなの…」
「何かって具体的には?」
「直接は見ていないんだけど、大きさはこのくらいで…今は寝てるみたい。」
あたしは手で大体のサイズを示した。
「…分かった。」
ハイゼは目を擦ってランプに明かりを点けた。ハイゼは言葉少なに立ち上がるとあたしを連れ立ってついたての向こう側に入っていった。
ベッドの中には未だに何かいる膨らみがある。呼吸に合わせて上下しているのも伺える。ハイゼは静かに近寄ると、掛け布団の端を持って勢い良くめくり上げた。あたしは反射的にハイゼの背後に隠れる。それからそっとベッドの方を覗き込んだ。
「か、可愛い…。」
あたしは思わず口走った。ベッドで丸くなっていたのは茶色いふわふわした大きな尻尾を持つ動物だった。つまり哺乳類。猫のような大きさでリスのような尻尾があり、兎ほどではないけど細長い耳が特徴的だ。
「何だ、オクルじゃねぇか。」
「オクル?」
そういう名前の動物なんだ…。近所の野良猫を見つけるとすぐに触りたくなるあたしは思わずオクルに手を伸ばした。
「あぁ…触んない方がいいぜ。」
「え…この子凶暴なの?」
「個体にもよるけどな、大体は人に懐かない。」
「…あたし今日ここに寝てても平気?」
「それはやめとけ。気性が激しいのは本当に凶暴だしな。寝てて朝起きたら足の指が何本かありませんでしたってことも考えられるし。」
あたしは手を引っ込めて後退りする。とてもそんな風には見えないけど、見えないからこそ余計怖く思える。
「コイツはこのまま朝まで放っておけ。夜の間にどこかに逃げるかもしれないしな。」
ハイゼは掛け布団を元の通りに戻した。オクルはこの一連の動きに気が付かないようにずっと寝ている。
「お前は今夜はこっちで寝ろ。」
「え!?」
ハイゼの何気ない言葉にいきなり体温が上昇する。眠たいのかハイゼは既にランプを持ったまま自分のスペースに戻りつつある。
「寝るってどこに?あ、マント持ってくるのか…」
ハイゼのスペースには机と椅子がある。机に突っ伏して寝るならあたしの得意技だ。
「いや…お前がベッド使え。」
ハイゼはいつもの厚手のマントを取って体に巻きつけ、机を背もたれにするように椅子に座った。
「…いいの?」
「ああ。」
「ありがとう、ごめんね。」
「いいよ。」
あたしはおずおずとハイゼのベッドに潜り込む。ベッドに残るハイゼの体温がとても安心させてくれる。ハイゼはあたしがベッドに入ったのを確認するとランプの炎を消した。テントの中は再び月光の青白さに染まる。